郡内領主の小山田氏が築城したと見られる山城で、武田氏が滅亡した後に
浅野氏重が築城したとする説(『甲斐国志』など)も見られます。
地元で「お城山」と呼ばれる、谷村市街地を一望する独立した山の上に
地形を巧みに利用して、郭(くるわ)や堀などが築かれています。
また、城山の麓を、南西から東北へ巻いて流れる桂川が、天然の堀となっていて
西北側を通過する中央自動車道の部分も、かつては、堀の跡だったと推定されています。
近年進められている総合的な調査の一環として行われている発掘調査では、
それぞれの郭などで、年代的に重さりあうかたちで遺構が確認されてきています。
とくに初期の遺構と見られるものは、戦国時代の特徴を持ち、
小山田時代の築城が具体的に説明できる可能性が出てきています。
また、浅野時代の構築と見られる石垣なども確認されてきています。
都留市教育委員会が進める『勝山城跡学術調査事業』のようすは、
都留市の公式ホームページでご覧になれます。
次のアドレス(URL)が、事業紹介のページ(ダイレクトリンク)です。
http://www.city.tsuru.yamanashi.jp/forms/info/info.aspx?info_id=3706
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