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| カテゴリ | 歴史 |
|---|---|
| 収蔵品タイプ | 史跡 |
| 年代 | 1274年(文永11年) |
| 場所(住所) | 山梨県身延町身延3567 |
| 電話 | 0556-62-1011 |
| 人物 | 波木井実長・武田信玄・穴山信君 |
| ポイント | 境内では、江戸時代にあった五重塔の再建の工事が、2008年秋の完成を目指し、進められています。 |
日蓮宗の総本山で、山号の身延山は、この寺の通称ともなっています。鎌倉時代、日蓮に篤く帰依した甲斐源氏の流れを汲む波木井実長は、自身の所領であった身延山への入山を熱心に勧め、文永11年(1274)に小さな草庵が建てられたことでこの寺の歴史が始まります。武田信玄もまたこの寺に深く信仰を寄せ、越後勢との対決の折に戦勝祈願を行うなどしています。また峡南地方を治めていた武田二十四将の一人穴山信君も強く関係を結んでいます。現在のように伽藍が整えられたのは、武田氏滅亡後に甲斐を領有した加藤光泰や浅野長政、さらには江戸幕府の保護の下、各地の大名などの支援によるものです。
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| 地図 |
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