記事一覧

【山梨県立博物館】 《過去情報の記録001》 「米キタ」「アスヤル」 ―明治四十年の大水害から百年―

展示の趣旨 明治40(1907)年8月、山梨県は 未曾有の大洪水に見舞われました。死者233名、全壊・流失家屋約5千戸。 その被害は山梨県において20世紀最大の自然災害というべき規模となりました。 その明治40年の大水害から100年が経過しました。今回のシンボル展は、 水害の際に、孤立した石和の町へ食糧の到着を知らせた「米キタ」「アスヤル」 「船クルヒルコス」などの関係資料で構成されました。 災害を被り、死線を越えて生き抜いた山 梨の人々の記録を通じて、現在の私たち と自然との関係を再考する機会となりました。開催期間  平成19(2007)年8月21日(火)~9月24日(月・祝) 《終了》会  場   山梨県立博物館シンボル展示室主な展示品 ○「米キタ」「アスヤル」「船クルヒルコス...
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【やまなし伝統工芸館】 甲州印伝

国指定:1987年4月18日 県認定:1994年10月24日。    甲州印伝は鹿革を原材料とする工芸品です。日本には数多くの革製品が存在し、紋様付けの方法も様々な方法が存在しますが、山梨で漆置きによる紋様付けが始まった時期(1710年頃)が甲州印伝の始まりとされています。甲州印伝は鹿革を煙で燻すことで黄褐色に染める“燻(ふすべ)”、型紙を用いて漆を乗せる“漆置き”、型紙を用いて顔料で模様付する“更紗”といった技法で模様付され、バッグや財布などに縫製されます。     ・甲州水晶貴石細工 ・甲州印伝 ・甲州手彫印章 ・甲州雨畑硯 ・甲州大石紬...
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【オオムラサキセンター】 NHKで放映されます!

12月27日or28日夕方のNHKニュース番組のなかのお正月お出かけ情報でオオムラサキセンターが紹介されます。お正月特別開館に合わせて行われるむしむし福笑いやむしむし福袋などのイベントが紹介されます。是非ご覧下さい。詳しい情報は後日UPします。...
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【山梨県立博物館】 武田信虎の人物紹介(信玄の父)

武田信虎(たけだ のぶとら)1494〜1574信玄の父親で、戦国の混乱の名から甲斐国をまとめ、領国体制を整えました。石和から館を躑躅ヶ崎に移し、甲府の町の元をつくりました。しかし、性急な手法もあって信玄により駿河に追放されてしまいます。 ...
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【やまなし伝統工芸館】 市川大門手漉和紙

県認定:1995年11月9日    山梨における和紙の歴史は古く、市川大門手漉和紙の起源は平安時代にさかのぼると伝えられています。長年にわたる改良が重ねられ、武田家や徳川家の御用紙を務めながら明治時代まで盛んに製造が行われました。現在では機械漉きが主流となり、手漉きの技術を継承する工場は一社のみとなっています。     ・甲州水晶貴石細工 ・甲州印伝 ・甲州手彫印章 ・甲州雨畑硯 ・甲州大石紬織物 ・西島手漉和紙 ・甲州武者のぼり・鯉のぼり ・甲州鬼瓦 ・親子だるま ・市川大門手漉和紙 ・山梨貴宝石 ・富士勝山スズ竹工芸品 ・甲州花火  ...
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【やまなし伝統工芸館】 親子だるま

県認定:1995年1月27日。    親子だるまの礎となる甲州だるまの歴史は、現在の甲府市城東地域に住んでいた武井八衛門が武田信玄の顔に似せてだるまを作成したことにさかのぼります。1730年代になって5代目八衛門が親子をモチーフとしただるまを考案したことが親子だるまの始まりです。親子だるまは一般的な甲州だるまと異なり白色をしていますが、これは山梨県の農家の生活が、養蚕と綿の出来によって左右されたため、繭の形をイメージして白いだるまになったといわれています。     ・甲州水晶貴石細工 ・甲州印伝 ・甲州手彫印章 ・甲州雨畑硯 ・甲州大石紬織物 ・西島手漉和紙 ・甲州武者のぼり・鯉のぼり ・甲州鬼瓦 ・...
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【山梨県立博物館】 戦国武将が乗っていた馬は、ポニーみたいな小さな馬だった・・・

戦国武将が乗っていた馬は、ポニーみたいな小さな馬だった・・・甲斐国(山梨)では、古代から良馬の生産が盛んでした。戦国時代に、武田の騎馬軍団が全国的に名をとどろかせたのも、そうした伝統のうえに成り立っていたといわれています。ところで、「戦国武将が乗っていた馬は、ポニーみたいな小さな馬だった・・・」ということをご存知ですか?武田氏館跡(躑躅ヶ崎館)周辺での発掘調査による当時の馬の全身骨格の出土例をはじめ、県内各地からの発掘情報もそうしたことを裏付けています。映画やテレビなどで見る戦国騎馬軍団は、明治以降に輸入されたサラブレッド系の競走馬によって勇壮なシーンが再現されています。ちょっとオーバーな表現ですが、当時の馬では体格のいい人が乗ると時に足が地面に付いてしまいそうな・・・と聞くと、けっこう意外...
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【山梨県立博物館】 勝沼信友の人物紹介(信玄の叔父)

勝沼信友(かつぬま のぶとも)?〜1535信玄の父・信虎の弟で、勝沼に館を構えて、武田親族衆のなかの有力者として、県の東部地域の掌握を任されていたようです。天文4年(1535)に相模勢との抗争の中で、戦死しています。甲州市勝沼町の国史跡「勝沼氏館跡」は、その勢力のさまを今に伝えています。...
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武田神社宝物殿
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