身延山宝物館

登録日:2011/03/01 12:01:44

新展示 徳川の時代に咲いた蓮華 

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開催場所 身延山宝物館
開催期間 2011年02月26日 00時00分〜2011年09月13日 00時00分
参加費用 300

 

新しい展示 徳川の時代に咲いた蓮華はな が始まりました

「徳川家と身延山」と聞いてどのような関係があるのかご存じの方はいらっしゃいますか?「徳川家と言えば浄土宗と天台宗・・・では日蓮宗とは?」とお思いの方が多いのではないかと思います。しかし、日蓮宗の寺院には徳川家の葵紋が寺紋として使われている寺院が多くあります。そして、ここ身延山にも、徳川家と縁のある宝物がたくさんあります。

まずはじめに、徳川家康公夫人のお万の方を紹介します。お万の方なしに江戸時代の日蓮宗は語れないほど大切な方です。「徳川御三家」という言葉は皆さんも知っていらっしゃると思いますが、そのなかの水戸徳川家と紀伊徳川家は、お万の方と家康公の御子息によって始まりました。つまり、あの有名な水戸の光圀公は、お万の方の孫になります。このお万の方は大変な法華信者でしたので、身延山に丈六という大きさのお釈迦さまの御像(現存しており、拝観することができます)を寄進したり、日蓮宗の僧侶を助けたりしてくれました。そして、昔から修験道の霊地とされ、女性は入山することのできなかった七面山に初めて登詣されて、女性信徒が登詣できるようにしてくれました。

この姿をみた、子孫の方々も熱心に法華経を信仰され、各地に日蓮宗の寺院を建立しています。特に徳川家の女性は、七面山や身延山の御像への信仰が篤く、あの大奥へ御像がお上がりしたという記録も残されているほどです。

そして、篤姫の時代。篤姫をはじめとした姫君による「世の泰平・将軍の無事」を祈願する依頼が身延山へ寄せられています。それは、生麦事件の直後のことで、身延山に伝わる「蒙古退治の旗曼荼羅」への信仰がうかがえます。

このように、徳川家の女性達が法華経を信仰していたことや、その信仰の対象となった霊宝が現在も残されているということは、なかなか知られていません。今回の展示でご紹介できるのはほんの一部ですが、これまで公開できなっかた霊宝も展示していますのでぜひご来館下さい。

開催場所地図
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